東大寺の焼けた東塔、巨大な土台跡を確認 国内最大級か

2015.11.25 15:46|情報
以下、朝日DIGITAL より引用

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平安時代に兵火(へいか)で焼け、鎌倉時代に再建された奈良・東大寺の東塔(とうとう)が、
中国・宋伝来の最新技術で建てられた、国内最大級のものだった可能性が高まった。
東塔跡(国史跡)を発掘した寺が19日発表した。
奈良時代の創建時より一回り大きく、国内に類例のない規模だったことがうかがえるという。

大仏殿の南東と南西に750~60年代ごろ、東塔と西塔(さいとう)が建てられた。
東塔は平氏の焼き打ちに遭い、1227年に再建されたが、1362年に落雷で焼け落ちた。

寺と奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所が、柱を立てる礎石を置いた穴や階段、石敷きなどを発掘。
鎌倉時代のものとみられる基壇(きだん、土台)は一辺約27メートル、東西南北の各面が柱間3間の構造で、
建物部分が約17メートル四方だった。
一方、創建時の階段の端とみられる石も出土。基壇は一辺約24メートルとみられる。

現存する仏塔で最も高い京都・東寺(とうじ)の五重塔は高さ約55メートル。
東大寺の東西両塔は約70メートル、もしくは約100メートルという2種類の高さの記録がある。
江戸時代の絵図は、失われた西塔の跡を柱間5間、東塔の跡を3間で描いているが、
今回の調査で、創建時は5間だった両塔のうち、再建後の東塔は3間に変更され、より大規模になったらしい。

調査団長の鈴木嘉吉(かきち)・元奈良国立文化財研究所長(建築史)は
「奈良の寺は天平時代の姿で復元するのが常識だったが、初めて覆った。
 大仏殿や南大門と同様、中国・宋の様式を採り入れ、柱を太くして丈夫な塔を造ったのでは」と話す。
柱間の寸法(中央が約6メートル、左右が約5・4メートル)は南大門と同じで、
奈良時代よりも柱を太くして「貫(ぬき)」と呼ばれる水平材を柱に通し、建物の構造を支えたと考えられるという。

来年、創建時の遺構の調査を始め、2021年から基壇の整備に入る。
934年に雷で失われた西塔の跡は17年に調査を始める予定。
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