わたしの生き方 当たり前の存在に

2017.09.19 15:18|情報
以下、毎日新聞 より引用

*****************************************************

◇忍足亜希子さんインタビュー

耳が聞こえないのは生まれつきですが、周囲が気付いたのは3歳ごろ。
両親と弟は聴者(耳が聞こえる人)で、話しかけても振り向かないのをおかしいと思ったそうです。
ろう学校が近くになく、両親が生まれ育った横浜市に引っ越しました。

当時のろう学校は手話が禁止されていて、発声や口の動きを読み取る「口話教育」が授業の中心。
聴者に合わせることが、社会への順応につながるという考えが前提にあるのでしょうね。
家族のコミュニケーションも口話で、手話は社会人になるまで知りませんでした。

東京の短大に進学し、初めて聴者の友達ができました。学力が足りず4年制大学には行けなかった。
ろう学校では口話教育に多くの時間が割かれるので、普通の勉強は遅れがちなんです。
大学では講義を書き取るノートテークや手話通訳の支援がなく、友達に頼むしかない。
優しそうな人を見つけてお願いすることが、最初の関門でした(笑い)。今は支援を受けられる大学が増えています。

父が航空機の整備士だったことから、キャビンアテンダントに憧れていた。でも「お客さんと意思疎通できないとだめ」と。
絵を描くのが得意で漫画家になりたかったけど「語彙(ごい)力や知識が必要」と言われてあきらめた。
自分に何ができるのかわからなくて、短大の先生が紹介してくれた銀行に就職しました。
人と関わらなくてもできる事務仕事で、毎日同じ繰り返し。5年で辞めて「自分探し」の旅に出ました。
その少し前、手話サークルの講師に誘われてテレビ番組に出演したんです。
子供の頃から見ていたノッポさんと一緒で、すごく楽しかった。人前に出ることに興味を持つきっかけになったかもしれません。

28歳の時、友達のすすめで受けた映画「アイ・ラヴ・ユー」のオーディションに合格。
聴者とろう者の共同監督で、ろうの女優が初めて主演するという画期的な作品でした。
映画の中に「手話は日本語や英語、フランス語と同じ一つの言語」というセリフが出てきます。
母はショックを受け、手話の大切さを理解したみたいです。ろうの俳優は少なく、役も限られている。
かわいそうで孤独な存在として描かれることが多いけれど、実際は楽しく生きています。
ドラマや映画にもっと当たり前に登場するようになってほしいです。

共演した萩原聖人さんの草野球チームの試合で、夫と出会いました。実は結婚するまでに2度別れたんです。
ろう者と聴者の恋愛は長続きしない。特に女性がろう者、男性が聴者のカップルはすごく少ない。
女性が男性をサポートするのが当然だとされているからでしょうか。
夫は最初のデートで「手話を教えてほしい」と言って、一生懸命勉強してくれた。
10年前から音楽と手話を融合した「手話ソングライブ」を主宰していて、夫婦で手話教室も開いています。

41歳で子供に恵まれました。産声は、胸に抱いた時の振動で感じた。
夜中に赤ちゃんが起きても気付かないので、泣き声に反応して強く光るランプを買ったんです。
夫が先に起きることになるんですけど(笑い)。積極的に協力してくれるので、苦労したと思ったことはありません。

娘は聴者ですが、最初に覚えたのは手話。10カ月の時、ご飯をあげると頬をたたいて「おいしい」って。
誰にでも優しく、大きな希望を持ってほしいという願いを込めて優希と名付けました。
私はなかなか夢を見つけられませんでしたが、娘には目標をしっかり持ってほしい。
聴者とろう者の懸け橋になってくれれば、と思います。
スポンサーサイト
| 2017.11 |
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
プロフィール

NDSセンター

Author:NDSセンター

カテゴリ

最新記事

月別アーカイブ

検索フォーム

QRコード

QR

ページトップへ