聞こえない世界で/1

2018.02.01 10:32|情報
以下、毎日新聞 より引用

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◆薬の副作用、3歳で聴力失う 授業は苦労の連続

「幼稚園に行くとお菓子をもらえて、いつも楽しみだった。ただ先生の話すことがよく分からなかった」。
県聴覚障害者協会の事務局次長、嘉田眞典さん(53)=三田市ゆりのき台=が覚えている一番古い記憶だ。
大阪市に生まれ、尼崎市に引っ越して3歳上の姉と2人姉弟で育った。
3歳ごろ、重病にかかり飲んだ薬の副作用で、聴力を失った。
それは後で知ったことで、当時のことは覚えていない。
幼稚園に通い始めて補聴器を付けたが、なぜ付けるのかよく分からないでいた。
耳が聞こえないことを認識していなかったのだ。

難聴学級があった尼崎市立北難波小(現市立難波の梅小)に入学。
同級生とのやりとりで、相手が健聴者の時と聴覚障害のある人の時で、伝わり方に差があることに気付いた。
「自分が聞こえないのだということが、段々分かったんです」

朝はいつも、家族に体を揺り動かされて起こされたり、朝食のみそ汁の匂いがしたりして目覚めた。
家族で聞こえないのは嘉田さんだけ。日常の食卓や親戚が集まる正月も、会話にあまり参加できなかった。

家族や友人と話す時は、相手の唇の動きを見て日本語を理解し、
自分も発声する「口話法」や、筆談、身ぶり手ぶりを使った。
口話法は小学1、2年の頃、難聴学級の授業や放課後に習った。
発声した健聴者の先生の喉に手を当て、自身の喉も同じ振動になるよう発声する。
「『サ』と言ってるつもりでも『タ』だと言われる。自分の声が聞こえないのに何度も練習するのが、つらかった」

健聴者と一緒の授業では、先生が早口でほとんど読み取れない。
教科書は隣の人がめくった時にめくり、板書は全部そのままノートに写し取る。
意味は分からなかった。進学した高校は難聴学級が無く、聞こえないのは自分だけ。
先生の唇の動きが分かるよう最前列の席で授業を受けたが、ほとんどついて行けなかった。
それでも、「友達が口話が分かるようにゆっくり話してくれた。
仲間内で分かるジェスチャーのサインもあり、コミュニケーションができた」。周囲の理解があったからこそだった。

手話教育に詳しい兵庫教育大の鳥越隆士教授(心理学)によると、
教育現場は口話法が重視され、手話は事実上禁止されていた。
聴覚障害者は特別支援学校の寄宿舎などで内々に手話を学んできた。
他方、特別支援は数が少ないといったことから、難聴学級のある普通学校に進んで手話に触れずに育つ児童も多い。

しかし、口話では健聴者の勉強の進度について行けず、「自分が悪い」と自信を失う人もいる。
近年手話を取り入れる学校も増えたが、多くが補助的な扱いだ。

「聴覚障害者」といっても、手話や日本語をどれだけ使いこなせるかは、
その人の聞こえない度合いや、受けた教育などによって異なる。
鳥越教授は「幼少期から聞こえない、聞こえにくい人同士で交流して、
自分がどれくらい聞こえないのかを認識したり、手話に触れたりすることが
自分のコミュニケーション手段を獲得するために大切だ」と指摘する。
高校卒業後に手話を学んだ嘉田さんにとっても、手話との出会いは喜びだった。

   ◇  ◇

手話を言語として理解・普及させることを目指す「手話言語条例」の制定が広がっている。
一方で、手話や聞こえない人たちへの誤解は現在も多くあり、その深刻さは十分に理解されていない。
聞こえない、ということがどういうことなのか。
県聴覚障害者協会に長年勤め聴覚障害者の交流や支援に取り組んできた嘉田さんの半生をたどりながら、考えたい。
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